2019年11月30日(土)「紅葉の宴 歌会散歩」みなさんに楽しんでいただけました!

「琵琶の音楽鑑賞 〜雅楽の伝来と琵琶秘曲〜」  安朱自治会館内

「歌会散歩」 疏水〜毘沙門〜諸羽神社〜徳林庵〜十禅寺〜宮内庁墓〜大明神

※毘沙門の弁天堂前にてミニ琵琶を用い、集まった和歌を即興で唄った。

(山科区役所区民探訪等助成事業)

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13 時に山科駅に集合し、簡単な挨拶と四ノ宮紹介後、自治会館に移動(徒歩5分)。参加者は14名。九州からのご友人をつれた60歳代の3名様、草津市の60 代の女性2名様、大津市の親子3人様、長岡京の70代のご婦人、大原野の70代のご婦人、音霊杓子の現在休部中の50代男性のメンバー、山科区内70代の 女性2名、地元安朱の70代の男性1名と、これまでのまち歩きイベントに比べ、比較的広範囲からの参加者が参加してくださりました。長岡京や大原野、大津 での琵琶演奏会や散策イベントで配ったチラシを見てきてくださった方も割といらっしゃったようです。

歌会散歩1

紅葉の時期で毘沙門堂への観光をからめていたことも参加しやすかったと思います。今回は、音霊杓子メンバーの様々な琵琶を平安時代の雅な雰囲気が味わえる演出で繰り広げ、散策参加者の皆さんにも平安歌人に成りきって歌札に和歌を詠んでもらえたと思います。

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散 策は自治会館から安祥寺川沿いを上り疏水辺り、安朱端を北へ、毘沙門堂へ。本堂への石田畳はかなりの人出だったので、その右側奥にある、ドウダンツツジと 紅葉鮮やかな弁天堂の方へお参りしました。そのお堂の前で、ミニ琵琶即興の和歌を3首唄いました。帰りも人出がまだまだ多かったので、メイン通りは避けて 東の山沿いの住宅街を抜けて疏水から四ノ宮へ向かいました。諸羽神社などお寺と社の朱印の入った貼札護符を配付しながら、徳林庵では堂内の見学もできまし た。十禅寺と四ノ宮大明神をめぐる頃には日も傾いて、寒さが増してきたの簡単にご説明して、最後は参加者全員に記念品、銀色の琵琶メタルシールをお配りし たところ、皆さんとても喜んでくださいました。

安朱自治会館での琵琶の音鑑賞と、毘沙門堂・四ノ宮散策

「琵琶の音楽鑑賞 〜雅楽の伝来と琵琶秘曲〜」  安朱自治会館内

奈良時代に雅楽が伝わり、平安時代には国風文化として雅楽曲を自ら作曲した源博雅の紹介、また博雅が求めた藤原貞敏が平安初期に伝えた幻の琵琶独奏曲を物語的に紹介した。

「越殿楽」箏(階藤清音)、ギター(大島明音)、しのびわ(小谷昌代)

「楊真操」しのびわ(青木良久音) 「長慶子」楽琵琶(雅音)

「蝉丸」筑前四弦琵琶(真鍋尚音) 「啄木」平安小琵琶(中川美音)

「水の辻」四ノ宮琵琶(小谷四音)

あいさつ(ナレーション内容)

皆様、あらためましてこんにちは。本日は紅葉の宴歌会散歩にようこそおいでくださいました。平安時代の貴族たちが独奏楽器としてかなでた琵琶の音色、まずは1時間ほど、さまざまな琵琶の音色をお楽しみください。→笙の平調調子

歌会散歩2

こ の笙の音色は、雲間から光がさす時の天の音とされます。かつて日本に仏教が伝わった奈良時代、唐楽を演奏する楽隊も海を渡ってやってきました。正倉院に残 る雅楽器は現在まで宝物として残されています。また平等院の雲中供養菩薩は、雲に乗る菩薩様がさまざまな楽器を持って奏でています。そんな極楽浄土からの 迎えの音楽として当時の人々は、この音楽に魅了されました。まずはそんな天からの奏上曲としてぴったりな「越殿楽」をソプラノ箏(階藤清音)、ギター(大 島明)、琵琶(小谷昌代)でお聞きいただきます。 →ギター ソプラノ箏 琵琶 越殿楽

歌会散歩3

平安時代に入ると仁明天皇のもとで、雅楽が国風文 化 として花開きます。その時代の遣唐使、藤原貞敏は、唐で琵琶の弾き方を習い、帰りの船で嵐に遭遇しつつも、無事に帰国し、絃象、青山というお能などにも登 場する琵琶ですとか、流泉、啄木、楊真操といった琵琶の独奏曲を持ち帰りました。では、貞敏役に青木良久音が扮し、小さなしのびわで楊貴妃が作ったとか、 弾いたと伝わる「楊貴操」という曲をかなでます。→しのびわ 楊貴操

歌会散歩5

源氏物語に描かれる華やかな平安文化が隆盛する平安時代中頃になる と、 雅楽もずいぶんと日本の王朝文化にとけ込み、笛の名手として物語などにもしばしば登場する源博雅も自ら曲を作ったりしています。平安貴族の宴の際には華や かな舞いが舞われます。その退出の際に奏でられる、まかで音声、「長慶子」は彼の作曲といわれます。現在の雅楽でも、舞のあと、演目の最後にはその慶箏が 長いこと続きますようにとの願いを込めて、演奏されます。本日は、楽琵琶をクローズアップしてお聞きいただきます。それではどうぞ。 →楽琵琶 長慶子

歌会散歩4

貞 敏が伝えた琵琶の独奏曲は、当時のごく一部の王侯貴族のみが伝承し、平安中期にはもう風前の灯火でした。その様子が今昔物語の中の「源博雅朝臣、 逢阪の盲の許に行きたる語」に描かれています。源博雅は平安時代初期に遣唐使によって伝えられた琵琶の独奏曲のうちの二曲、「流泉」と「啄木」を弾ける人 がいなくなったのを嘆き、かろうじてその曲を知っている蝉丸に会いに逢阪山へ毎晩出かけます。3年目のある月の奇麗な晩、願いは叶うことになります。続き ましては、真鍋尚音が筑前四弦の琵琶で、そのお話を語ります。 →筑前四弦琵琶 蝉丸

歌会散歩6

さて、その曲、物語の中では「宮様はこのようにお弾 き になったものです」と伝えるにとどまり、どのような曲であったかの描写はありません。伝来当初そのままとは言いがたいですが、「啄木」の譜面は、平安末期 の雅楽の大家、藤原師長がまとめた三五要録に納められた琵琶譜や、鎌倉時代に刑部卿局、藤原博子から後深草上皇へ秘曲伝授が行われた際の大変貴重な譜面 が、現在はインターネット上で誰でも閲覧することができます。その1267年に書かれた後深草上皇愛用の譜面から「啄木」を中川美音が奏でます。もりの梢 にこだまする、小鳥の啄木の音色、遠くではばたく羽音、流れ星のように飛び立つ様などなど、手技にも注目しながらお聞きください。 →平安小琵琶 啄木

歌会散歩7

同 じく「流泉」も天皇以下伝授されたものしか弾いてはならない秘曲として、鎌倉時代以降、琵琶の楽家である西園寺家などに引き継がれていきます。こちらは、 音霊杓子が入手した宮内庁書陵部編の平安時代末期の源経信筆(1016〜1097)による九条兼実相伝奥書の琵琶譜から「流泉」を琵琶小谷四音が編曲し て、雨筒楽霧上野伝音との合奏でご披露し ます。人康親王が石の上で琵琶を弾いた伝説は、伊勢物語の「瀧落とし水走らせなどして」というお庭の描写や、平安末期以降「石上流泉」として伝授されるこ の曲と深いかかわりを持っていそうです。昼からめぐる人康親王の山荘跡も、平成中頃まで小川治兵衛が作庭した、滝落とし水走らせなどした池泉回遊式の庭園 でした。それでは、お聞きください。 →四ノ宮琵琶 流泉

歌会散歩8

この山科の歴史を詠み込みました琵琶唄山科千載記 お聞きください。

事前に歌札を渡し終了後、琵琶演奏会の感想を五七五七七で詠んでもらいました。

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