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「四ノ宮物語
雨夜尊 〜あまよのみこと〜」
むか〜し昔、
今から一千年以上も前のこと…
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「正倉院の倉庫にて
仁明天皇と家来」
雅楽が大好きだった
第54代の帝、仁明天皇の時代に
雅楽器の調査と整理が行われました。
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「遣唐使船
嵐に遭うも無事帰還!」
仁明天皇の命令で唐に渡った藤原定敏は、
琵琶の修行を終え「青山」「玄象」という
二面の琵琶を持ち帰りました。
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「遣唐使船、帰還祝宴にて
藤原定敏と仁明天皇、奥に人康親王」
藤原定敏は仁明天皇に琵琶を献上し
天皇は息子たちに雅楽を嗜むよう言いました。
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「宮中にて
学び盛りの人康親王」
蹴鞠は小野篁に、琵琶は藤原定敏に
馬術は小野篁に習いました。
琵琶の曲のなかでも「啄木」は大好きな曲でした。
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「宮中にて
人康親王、琵琶の練習中」
28歳のある冬の昼下がり
琵琶の練習をしていると、視界がぼやけて
覗き込む友人の顔も、よく見えなくなってしまいました。
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「母、藤原沢子、
山科に親王のための山荘を築く」
山科の禅師の親王おはします
その山科の宮に滝おとし水走らせなどして
おもしろく造られたるに 〜中略〜
紀の国の千里の浜にありける
いとおもしろき石奉れりき
(伊勢物語 第七十八段 山科の宮より)
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「於、山科御所
盲目を嘆く人康親王」
この石ききしよりは見るはまされり
〜中略〜
あかねども岩にぞかふる色見えぬ
心を見せむよしのなければ
(伊勢物語 第七十八段 山科の宮より)
お気に入りの紀州産の石をなで、
悔しくて泣きながら地面をこすると
みるみる涙の泉が湧きました。
現在の「四ノ宮泉水町」にある「お足摺水」です。
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「山科御所、
人康親王、陰鬱の日々」
右を見ても左を見ても真っ暗闇。
心も荒み、暗く沈んだ日々に
人康親王は鬱病となり…
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「山科御所、寝殿にて
人康親王、夢うつつ…」
夜な夜な
悪夢にうなされる日々が続きました。
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山科御所、寝殿
天台の高僧と盲僧ら、祈祷に来訪」
帝のご子息、第四皇子の一大事とあって、
当時の加持、祈祷、法力の権威であった
天台座主円仁、円珍、蝉丸らが
山科の宮にやってきました。
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「山科御所、寝殿
天台の高僧と盲僧ら、声高らかに声明」
なーむあーみだーぶ なーむあーみだーぶ
おんか かか びさまえい そわか
すると、夢枕にお地蔵様が立ち、
「お前には、琵琶があるであろう!」と
光の中から琵琶「玄象」が現れました。
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「四ノ宮川のほとり東屋にて
人康親王と盲僧たち」
次の日には起きられるようになり
人康親王は石の上で琵琶を奏で
盲僧たちも琵琶を習ったり、
琵琶に合わせて声明を唱いました。
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「四ノ宮物語 雨夜尊 〜あまよのみこと〜」
琵琶法師さんたちは、
人康親王が亡くなった後も毎年、
五月五日の命日に四ノ宮に集まり
皆で琵琶を弾じてその冥福を祈ったといいます。
親王が読まれた和歌を声明に載せて
つらしとて
もろはのやまにかくるとも
われやまびこになりてこたえむ
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