「四ノ宮琵琶(平成時代〜)不飽月」とは

不飽月 日本古来の宮廷音楽「雅楽」で使う琵琶「楽琵琶」の小琵琶です。かつてはお姫様やお殿様の携帯用として使われましたが、現在は、雅楽の正式な合奏のときにだけ大型の琵琶が演奏に使われ、小さな琵琶を用いたり、一人で弾くという文化は途絶えてしまいました。「源氏物語絵巻」という、今から千年ほど前のお話には、平安時代の貴族たちが膝の上にかかえて琵琶を弾く姿が描かれています。そんなふうに自分の部屋で気ままに奏でたりできる琵琶(独奏楽小琵琶)を、琵琶とゆかりの深い山科「四ノ宮」の名を頭につけて「四ノ宮琵琶」と呼ぶことにしました。四本の弦の音を「低いラ」、「ド」、「ミ」、「高いラ」に合わせて弾くと、ラ・シ・ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの音階が簡単に出せます。各種音楽に合わせた伴奏から童謡まで、誰もが自由な発想で弾ける楽器としての可能性を広げた古くて新しい、平成時代の琵琶です。


「四ノ宮琵琶」にした理由

 京都市山科区四ノ宮。京阪京津線山科駅の一つ西にある小さな駅周辺の町です。この四ノ宮という地名は平安時代の琵琶の名手であった貴族に由来するという説が一般的です。この地の名家「四宮家の古文書」や、それを参考にした盲目の琵琶法師たちに伝わった「当道要集」によると、仁明天皇第四皇子であった人康親王(さねやすしんのう)が28歳の時に目を患われ失脚、この四ノ宮に隠棲し、同じ境遇の目の見えない法師たちに琵琶を教え、生業の道を拓かれたと書かれています。またこの親王のことは、在原業平が主役で知られる伊勢物語にも「山科禅師」として登場し、滝や小川を体裁よく配した山科の屋敷に住んでいたことが描かれています。柳田邦男を主とする民族学的な研究の見地では、この人康親王を「山科禅師」とするには説得力に欠け、盲目の法師たちの権威付けの意図が見え信用できないとされています。ですが、音楽史や楽器の編成の歴史から垣間みれば、藤原貞敏という遣唐使が中国から「玄象」や「青山」などの琵琶の名器を持ち帰り、仁明天皇に献上したという史実からも時代が合い、人康親王が琵琶の名手で、病に伏し失脚、山科に隠棲、当時延暦寺に再興された三井寺の盲僧たちと交流を持ち、盲目の琵琶法師誕生のきっかけとなる筋書きは、意外とすんなり受け入れられるようにも思います。いずれにしろ、この「四ノ宮(人康親王)さん」は、現在、ゆかりの地に住む私にとっては、ヒーロー的存在に他なりません。彼の存在を信じ、この言い伝えを信じて彼が生きた時代にどんな風に琵琶が弾かれていたか、和歌に合わせてポロンポロンとつま弾いたことや、ご機嫌うかがいにやって来た三井寺の盲僧たちとともに、お経に合わせてジャンジャン掻き鳴らしたことなど、ついつい自由に想像してしまいます。そんな人康親王がつま弾き、バチで掻き鳴らしたであろう楽琵琶の仕様をしつつ、持ち歩きしやすい小さな楽小琵琶、それを「四ノ宮琵琶」と名付けました。そして、楽琵琶としての弾き方や部位の名称を受け継ぎつつ、現在の音楽教育にも対応していける相対的なドレミファソラシドの音階が出せる、現代の新しい琵琶として位置づけてゆければと思っています。


ミステリアスな琵琶のルーツ

 琵琶には楽琵琶、平家琵琶、筑前琵琶、薩摩琵琶などいくつかの種類があります。楽琵琶は宮内庁や神社、寺院などで受け継がれる「雅楽」に使われる大型の琵琶です。平家琵琶は楽琵琶とほぼ同じ造りの琵琶で、楽器を水平にして弾きますが、柱(じ)と呼ばれるフレットが楽琵琶4つに対し平家琵琶は5つあります。また平家琵琶は平曲と呼ばれ「平家物語」を語りながら相槌的に入る演奏に使われます。古い時代のものは高音の声域に合わせて楽琵琶にフレットを1本足した経緯が見てとれ、比較的新しい流派のものではサワリ専用の柱を設け合理的な手さばきで平曲の音階が出るように工夫されているものもあります。平曲は「徒然草」によると、鎌倉時代初期に信濃禅師行長が、生仏という僧に語らせたのが最初としています。それ以前の平安時代にも既に盲目でお経や、教訓めいた物語、地鎮の呪文を語るような琵琶法師がいたことが知られています。当時はおそらくまだ四本のフレット、楽琵琶と同じ作りのものを使用していたと考えられます。平家琵琶で用いる音階は、雅楽の黄鐘調に当たり、明らかに雅楽器からのルーツといえますが、盲目の法師たちがなぜ、当時ではまだ珍しく国宝級であった楽琵琶の使用が可能であったのか、大いなる謎が残ります。江戸時代に見られた当道という組織の琵琶法師である検校が、当時の権力者の前で弾き語ったことなど、常に権力者との太いパイプがあったことは、何かしら歴史的な背景があったのかもしれません。この辺りについては、記録も少なく音楽史的にも、民族学史的にも、専門家たちの目からのエアポケットとなっています。そんな中で、楽器の編成から考察した研究はこれまで一切なされてきませんでした。日本古典音楽のルーツであるにも関わらず、深く議論されてこなかったことが不思議でなりません。


古い江戸時代の琵琶との出会い

 四ノ宮が琵琶にゆかりのある土地だと知って、琵琶を弾いてみたくなりました。骨董屋さんや古道具屋さんに立ち寄って古い琵琶を探したりしていましたが、なかなかみつかりませんでした。そんなとき、私の旦那さんが、五条通りの「タウンタウン」というリサイクルショップで琵琶をみつけて買って帰ってきました。しかし、海老尾や覆手といった部分が取れてしまっていて楽器としては使えません。そこで、いろいろな種類の琵琶を作ったり直したりしている、東京都内の虎ノ門にある「石田琵琶店」さんで修理してもらい、楽器としてよみがえりました。修理のために分解したとき、中面に「天保辰秋」と書かれ、約180年前に作られた琵琶でした。この名琵琶を手に入れての数週間の間に、渡った橋が秋月橋だったり、送った友人宅が秋月町だったり、そんなことが重なり、琵琶の名前は「あきづき」かなあと思い始めていたのですが、ふと「お月さんは毎日見ていても飽きないなあ。きっと少しずつ形が変わっていくからかなあ。この琵琶も少しずつ変わりながら、みんなに愛される楽器になればいいなあ。」と思って、「飽きない月」という意味の漢字「不飽月(あきづき)」の名前をつけました。


誰もが自由に気軽に弾ける琵琶

 現在の琵琶の仲間では、楽琵琶や平家琵琶のほかに江戸末期や明治時代に九州から盛んになった筑前琵琶や薩摩琵琶もよく知られています。流派により弾き方や譜面はそれぞれ違いますが、いずれも琵琶は立てて構え、弦を押し沈めて音の高低を操作し、軍記物や絵巻物にある古典を語り唄いながらその伴奏として用います。これらの琵琶は楽器というよりは、語りが主で、その調子や伴奏の入れ方などを師匠について学び腕を磨くというお茶や詩吟などと似た世界です。気品があり、日本の伝統芸能である重みがあります。一方、四ノ宮琵琶はどちらかといえばウクレレや三線に近い、楽器として誰もが自由に弾ける琵琶を目指しています。雅楽器の琵琶は、遥か何千年前に遠くペルシャから中国を経て奈良時代に日本へ伝わった東西を越えた楽器の原型です。そのシンプルさ故に、さまざまな弦楽器に通じる神髄が備わっていると感じています。本格的な琵琶への門を叩くきっかけとして、また現在ギタリストやベーシストとしてご活躍の方々でもご自分の想像にまかせて、自由にかき鳴らせるそんな琵琶でありたいと願っています。こんな新たな分野開拓にご興味がおありの方はどうぞ、下記までご連絡ください。