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2019年12月14日真宗大谷派声明&四ノ宮琵琶音霊杓子 討入を偲ぶ 奉納会 〜阿弥陀をそへて四十八人に捧ぐ〜

12月の音霊杓子ですが、地域の都合により安朱自治会館が使えなかったため、御所横、烏丸今出川西入る南側の光明寺さんにご相談したところ、練習会場としてお借りできることになりました。光明寺ご住職門下の声明師の方々にもお声掛けいただいて「合同でちょっとした催しにしよう」ということになり、加えて、12月14日ということもあり、音霊杓子メンバーは、大石内蔵助、赤穂浪士にちなんだ琵琶の演目を披露することとなりました。

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討ち入りを偲ぶ 奉納会 〜 阿弥陀をそへて四十八人に捧ぐ 〜

あいさつ

皆様、こんにちは。京都山科四ノ宮を弦楽器のまちとして広める活動をしております。弦楽ふるさとの会、琵琶サークル音霊杓子の小谷四音と申します。本日は12月14日ということで、音霊杓子のメンバーが、さまざまな琵琶の音色で、討ち入りにちなんだ演目をご奉納致します。

今朝方は山科でも、義士まつりが開催され、毘沙門堂から大石神社まで、行列が歩きました。その後、元禄16年2月4日切腹を命じられ、46名の義士は主君のもとへと旅立ちました。

そんな日でもあり、本日は、この光明寺にて「討ち入りを偲ぶ奉納会〜阿弥陀をそへて四十八人に捧ぐ〜と題して、琵琶と声明の奉納会をさせていただける運びとなりました。まずは、阿弥陀様と四十七士の義魂に黙祷を捧げたいと思います。それでは1分間の「黙祷!」です。

→1分後 雨筒楽霧

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大石内蔵助良雄。幼名を松之丞と言い、少年期から青年期にかけて赤穂浅野家の教育者であった山鹿素行に武士の何たるかを学び、浅野長矩の下で赤穂藩筆頭家老となりました。元禄14年3月14日、天皇の勅使が江戸に赴かれ、将軍との対面儀式を前に、接待役であった浅野長矩が、指南役の吉良義央に切りかかるという「松之大廊下刃傷事件」がおこり、浅野長矩は即日切腹、浅野家はお家断絶となりました。温厚で我慢強く道理を通す性格の良雄は、城明け渡しの庶務を手早くこなし、奥さんの兄である進藤源四郎の一族を頼って、京都山科へと移り住みます。また大石家の外戚である泉涌寺塔頭「来迎院」の住職を頼り、内蔵助はその檀家となり、茶室「含翠軒」を建てます。浪士の密談に使ったその場所のすぐ横に、泉涌寺でも有名な「楊貴妃観音」があります。内蔵助も本願成就を祈った仏像かもしれません。まずは、この楊貴妃が作ったとか弾いたと言われる、平安時代の遣唐使が持ち帰った琵琶独奏の古曲をお聞きください。

大石内蔵助と泉涌寺「楊真操」 しのびわ  青木洛久音

この事件がきっかけで、人形浄瑠璃の仮名手本忠臣蔵が生まれ、そして歌舞伎へと受け継がれてゆきます。彼らは主君を追って散りましたが、そのことによって、現在も世界に誇れる伝統芸能が花開いたのです。七段目幕開けでは、三味線の踊地とともに、赤ら顔の猩々と化した内蔵助のシーンから始まります。

七段目 幕開け「踊地・猩々抜粋編曲」 薩摩三絃琵琶  階藤清音

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歌舞伎では、酒場で遊びほうける内蔵助をはじめ赤穂浪士は、仇討ちを悟られぬよう、様々なドラマを繰り広げます。煤竹売りになった大高源吾と室井其角が両国橋で出会い、和歌を取り交わすシーンも、大変人気があります。忠臣蔵外伝「松浦の太鼓」より抜粋。

忠臣蔵外伝 松浦の太鼓抜粋 「大高源吾」 筑前四弦琵琶  真鍋尚音

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真宗大谷派 声明ほか 光明寺

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元禄15年12月14日、本懐を遂げた赤穂浪士でしたが、そのいきさつを始終見守り心配したのは、やはりその家族であったでしょう。目的を果たした主人や家族の勇姿を讃えつつも、その後、愛する人はどうなってしまうのか、、冬の寒空に、からまわる、複雑な心境を奏でます。曲は「越天楽」、前半は篳篥のメロディを琵琶で奏で、後半は琵琶譜の伴奏に内蔵助や四十七士に思いを馳せる家族の心を唄います。

吉良邸討入 本懐遂行 「越天楽・今様」平安小琵琶 中川美音 楽箏 青木洛久音

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浪士たちは、その夜、江戸市中を練り歩き、殿様が眠る泉岳寺へと歩を進め、その墓前で仇討ちを告げました。世間の、特に江戸の人々は、主君に忠実な浪士た ちの行いに湧きました。その夜の月は、家族にとって、どのようなものだったでしょうか。

山科にのぼる「諸羽の月」 しのびわ連弾  奉納 田口訓之 小山翼

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「あら楽や思いははるる、身は捨つる、うきよの月に、かかる雲なし」

大石良雄の辞世と伝わる有名な一首です。この詩は、その描写や心情から、討ち入りを遂げた日の夜に参った、泉岳寺のお殿様の墓前で詠まれた歌のようです。回向伽陀「願似此功徳 往生 安楽国(ねがわくば、安らかな最後を遂げられますように)」。

天台声明と和歌  殿に捧ぐ「浮世月」  四ノ宮琵琶で、小谷四音

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ありがとうございました。幕府は、浪士たちを生かすか否か、判断を問われましたが、その際「命が助かっても、武士たるや、生き恥をさらすようなことは忍びない、彼らの面目を立てておあげなさい」と、切腹を進言したのは、山科の毘沙門堂に入られた公弁法親王でした。荻生徂徠らも、その意見を尊重し、義士たちは、四カ所の大名屋敷に別れて審議を待ち、元禄16年2月4日、切腹の命がくだります。細川家17名、松平家10名、水野家9名、毛利家10名。その日の午後4時過ぎから5時半までの間に四十六名が、武士としての最期を全うしました。

山科の大石閑居跡、岩屋寺には、その時江戸の大名屋敷、細川邸で詠まれた切腹間際の辞世の歌が伝わっています。「水にうつる、花や藻くずに浮き変えて、散りしをうらむ 庭の梅ケ枝」引き続きお聞きください。

天台声明と和歌 細川邸辞世 「藻屑」 四ノ宮琵琶

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歌わせて頂きましたのは「おんばさらさたん」で始まる四智賛梵語の天台声明です。この声明は、平安時代に比叡山延暦寺の第三代天台座主、慈覚大師円仁が唐より伝えたといいます。その頃から、日本でも盛んに雅楽が国風文化に取り入れられ、演奏されるようになりました。笛の名手源博雅が作曲したと伝わる「長慶子」は舞人が退場するまかで音声として演奏されます。四十七士の忠義の舞が、317年前の今日、秘技に舞われました。本日の締めくくりとして、雅音が楽琵琶で奉納致します。太食調「長慶子」。

退出音声 「長慶子」楽琵琶 雅音